建築家、編集者、映画プロデューサー、
そして2児の母という多様な肩書きを持つ
相澤久美さんに話を聞いた。
センスがいい人に学ぶ、幸せに生きるコツを紹介する「LIFE TALK!」。
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建築家、編集者、映画プロデューサー、
そして2児の母という多様な肩書きを持つ
相澤久美さんに話を聞いた。
センスがいい人に学ぶ、幸せに生きるコツを紹介する「LIFE TALK!」。
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自分なりに「生きてる」だけなんです

――よく聞かれるかと思うのですが、相澤さんの肩書きについて少し教えてください。

建築家はわかりやすいと思うのだけど、編集者としては、早稲田大学の大学院でフリーペーパーを発行していた人たちが都市の雑誌を作ろうとしたのを手伝ったのがきっかけです。当時、東京に「都市の雑誌」はなくて「都市はハードでなく、そこでうごめく人々や出来事で成り立っている」という、自分たちの暮らす場所を考察するコンセプトでした。媒体があれば自分たちが会いたい人たちにも会いに行けるしね。企画を立て直し、出版社に持ち込んで始まった都市の雑誌「A」が編集者としてのスタートです。設計事務所の仕事もすごく忙しかったけど、二足のわらじも全然辛くなくて、とにかく楽しかった。それから、いろんな編集の仕事に携わるようになりました。映画のプロデューサーとしては2003年、「silent voice」に結実する活動から。これも最初から「映画をつくろう」なんていう気はさらさら無くて、でも色んなご縁があって、気がついたら5年がかりで映画が一本できちゃった。そこからです。

――スタートとして、相澤さんが建築家になった理由ってどんなものなんでしょう?

父が物書きで、母親が絵描き。そういう親の元に生まれて、「主体的に創造的に生きろ」ってだけ言われて育った。でも、いろいろそれなりに大変だったので、私は芸術家や自分の内面から出てきたものだけ表現していく人にはなれないと思っていたんです……。私、アメリカの高校を卒業するまでに、実は高校を4つも行ってるんです。これ、あまり抜かれた事がない記録なんですよ(笑)。

――(笑)。

日本の高校が合わなくって、最初の高校をすぐ辞めて、大検受けようとして挫折して、また高校行ってまた辞めて。仕事見つけて働いて……でも、あれこれ仕事した結果、「あ、勉強しなくちゃダメなんだ」と実感したんです。でも、もう日本の高校で受け入れてくれるところはなくて、アメリカの高校に行きました。その後、大学進学をどうしよう、と考えた時、芸術とは縁遠いお固い職業に憧れて、弁護士になりたくて。ロースクールは落ちて、ボストン大学経済学部に行きました。ところが、経済学部の就職先は商社や金融系が多く、そこで働き続ける自分がイメージできなかった。そんなときに、BUの同級生が建築の学校にも通っていて、聴講に誘ってくれたんです。それがね、やたら面白かったんですよ。卵を割らずに受け止める装置の設計とか、自分の隠れ家を設計せよとか、そういう創造的なことは楽しそうだった。考えてみると、建築って経済合理性も必要だし、必ずクライアントがいて、誰かの暮らしを守る空間を作るわけじゃないですか。個人の創造性だけでつくられるものではない。元々クリエイティブなことに惹かれつつ、反発してお堅い仕事を目指したけど、もしかしたら「建築はちょうどいいじゃないかな」と考えたんです。アメリカで建築を勉強することも考えたけど、第一次湾岸戦争もあり、アメリカには6年住んだし、と思って経済学部辞め、日本に帰りました。設計事務所に潜り込んで、それから夜間の学校で建築の勉強もして、5年後には独立しましたね。うっかり(笑)。

――うっかり(笑)。相澤さんに対してものすごくアグレッシブな印象を持っている人が多いと思うんですけど、実際は、呼吸するように活動をされていますよね。

そう、単純に呼吸している感じなんですよ。時に、ものすごく集中して一気にやらなきゃいけないこともあるけど、それも含めてね、自分なりにただ生きてるだけ。困っている人に出会う、共感して手伝いたいことに出会う。誰しもあることです。わたしは行くって約束したら、手伝うって約束したら、それは必ず守る。特別なことはなにもないんです。

もらった命を次に繋ぐってことに好奇心があったんです

――色々と活動されている相澤さんが、お子さんを産もうと思ったことが本当にすごいなと思います。

自分に成せることなんて大した事ないと思っていたけど、子どもを産んで増やすとか、もらった命を次に繋ぐってことに好奇心があった。人間の営みの基本に再生産ってあると思うんです。生まれて育てられ、産んで育てて死んで、順繰りに、その繰り返し。ずーっと続けている。人類が生まれる遥か前から、生命って何億年も続いているじゃないですか。多分あまり意味もなく、よくわからないものすごく大きな生命の流れみたいなものがある。そのカケラが自分に入っている。だから、自分は子供を産んで育てようと思った。産んで10年くらいしてから、命を繋ぐための役割を担っているんだなぁとの実感を、ふとなにげなく受け取った。

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――でも、大変じゃないですか?

子育て?でも私一人で子育てしてないから。この子たちの同級生の親御さんとか遊びに来てくれたりするから、とても助かっています。私がいない時も、覗きに来てくれたりするし。長女が小さい時なんかウチの夫には第4夫人くらいまでいたよね。誰が嫁だ、みたいな(笑)。

――第4夫人(笑)。

お母さんたちが子連れで何人か遊びに来ていると、本当に色々早いんですよ。誰かが子どもたちをお風呂に入れている間に、誰かがご飯作って、いつのまにか誰かが片付けてくれて、とか。仕事やいろんなことに疲れた時用に駆け込み寺的に機能することもある。みんなだいたい核家族で住んでいるから、働いてるお母さんもお父さんも本当に大変なんですよね。だから、「ご飯食べにおいで」って言って、子どもだけ先に迎えに行って、後でお母さんも食べて帰る、とか、帰ってきたら誰かが子どものお迎えもしてくれてご飯もつくってくれていたりもする。

――それは助かるでしょうね。

私はこの家のおかげで楽させてもらってるから、本当に皆ウェルカムだし、いつもお互い様。あと、自宅と併設されている設計事務所のスタッフ達にも随分助けてもらっていました。設計に必要な修行だ!とか言って、自宅部分でご飯つくってもらって、子供も一緒にみんなでご飯食べて、本当に色んなこと話しました。仕事のことから、社会のことから、「彼女ができました」とかまで。片付けもしてもらって、ゴミ捨てもしてもらい、その間に私は子供の宿題をみることもできた。

――家族ですね。

相当楽させてもらっていますよね。でも、住宅を設計しているスタッフの修行、というのも半ば本気だったし、子供には色んな人と触れ合う環境を意識して作らなきゃいけないと思っていました。今は子どもが社会から切り離されてしまいがちでしょ。それはすごく残念なことです。だから、自宅を建てる時に、他人がたくさん入りこむことの出来るスキマをつくったの。プライベートを囲い込みたくなかった。18歳に選挙権が下がったけれども、子どもたちが社会から切り離されて育ってしまうと、選挙になってもどこから考えればいいかわからないと思うんです。

あんまりね、ストレスとか感じない人なんですよ

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――頑張りすぎて疲れちゃうときとかってどうしてるんですか?

あんまりね、ストレスとか感じない人なんですよ。自分が「これは大事」と思うことに関わることであれば、雑用であれなんであれ、あんまりストレスは感じない。あと家庭があるから料理をするとか、子供と絵本を読むとか、PTAに出るとか全然違うこともしてるし。調理道具が大好きなので料理は趣味でもある。鍋でぐつぐつ煮てるのをぼーっと見てたり、洗濯機が回るのを見てたりするのも好きだしね。こうやって子どもたちと話すのも楽しい。だからやっぱり家族は大事ですね。自分が生きてるうちで成し得る最大のことって私にとっては子供を産むことだし、この子たちの友達含めてみんな愛おしいんです。みんなが安心して生きていけるように、社会に何か働きかけていけるような仕事をしている以上は全くストレスが無くて。あ、あと、出張が多いから、その間一人にもなるし、本が読めたりもするし。多分、意識してこうなった訳ではないけれど、結果的に変化に富んだライフスタイルなんですよね。

ちゃんと、「聞くこと」ができる人

――さっきお話されていた料理道具っていうのは、どんなものなんですか?

ねぇ、これ知ってる? にんじんしりしり。沖縄の食卓の料理名なんだけど、料理と同じ名前の道具。これさ、30秒くらいで1本まるまる擦れちゃうの。

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――へぇ~、速い! あ! 写真! 写真!(笑)。

(笑)。私ね、料理の道具が大好きなの。おろし金とか鍋とか包丁とか、お手入れさえしっかりしてれば長く使えるし。鉄のフライパンとか、色も形も機能もそこからつくる事のできるお料理も、その素材も全部大好き。

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――相澤さんはどういうものに魅かれるのか、もう少し聞いてもいいですか?

P3のディレクター芹沢高志には影響を受けていて、あと、他にも沢山あるけど、哲学者の鷲田清一さんの「聴くことの力」という本にも心を揺さぶられました。九州大学の田北雅裕さんの、目に見えない、聞こえないものとかに対して心を砕く姿勢とか……「silent voice」も「声なき声」。ささやかなものが多分好きなんですよね。

――最後に、センスのいい人ってどういう人だと思いますか。

柔軟な人かな。寛容な人。多様であり、寛容であり……。良いところを見つけられる人。それはファッションであれ、デザインであれ、解釈力がある人なのかなぁ……。とにかく、何に対しても、「いいな」って思える良いところをピックアップしていける人なんじゃないかなって思います。そのためのちゃんと、「聞くこと」が出来る人。

(佐々木)

プロフィール
1969年東京都に生まれる。ボストン大学経済学部を中退後、1994年に早稲田大学芸術学校 建築学科を卒業。設計事務所入社後、1997年より「ライフアンドシェルター社」を共同主宰。その間、都市の雑誌『A』の創刊から企画編集に携わるなど、編集者としての肩書きも持つ。2006年からは、映像プロダクション「一般社団法人サイレントヴォイス」を芹沢高志氏と共同設立し、プロデューサーとしても活躍。2011年より震災専門のメディア「一般社団法人震災リゲイン」代表理事も務め、季刊紙発行を行う他、「Mother Architecture」「淡路島アートセンター」等社会課題に取り組む組織の理事を務め、防災減災害、建築、地域、アートなどジャンルを横断した複数のプロジェクトに携わる。
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