イラストレーターにして、デパートメントHのオーガナイザー。
イラストレーターのゴッホ今泉さんに話を聞いた。
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イラストレーターにして、デパートメントHのオーガナイザー。
イラストレーターのゴッホ今泉さんに話を聞いた。
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JOB海外アニメやアメコミが原点

──ゴッホ今泉さんといえば、アメリカ人が描いたようなアメコミタッチのイラストが魅力なわけですが、最初からイラストレーターを目指していたのですか?

僕はよく、ミュージシャンの友達と話したりするんですけど、友達のミュージシャンは、音楽を志して音楽をやっている、というよりも気がついたら音楽をやっていて、一生懸命、音楽をやっていたらなんとなくお金が入るようになって、で、なんとなく今のポストにいるというんですね。僕も同じです。志していたというよりは、なんとなく一生懸命やっているうちに、イラストでお金がもらえるようになっちゃったというのが実情。そこを目指して何かをしていたというのはあんまりないですよ。

──ゴッホ今泉さんのイラストがアメコミタッチなのはどうしてなのでしょうか?

僕が子供のころは、TVでよく海外のアニメが放送されていたんです。『宇宙怪人ゴースト』とか『宇宙忍者ゴームズ』とか『怪獣王ターガン』とか。僕はそこから入ったんです。僕の友達もそんな海外アニメを観ていたんだけれど、そのうち『マジンガーZ』とか『ゲッターロボ』という日本のアニメにシフトして行った。でも、僕はなぜかシフトしなかった。海外アニメのまま止まっちゃって、『マジンガーZ』とか『ゲッターロボ』とかが始まってもそっちに行かなかったんです。

──確かに、ハンナ・バーベラの海外アニメが沢山、放送されていましたよね。

僕にとってアニメはアメリカのアニメしかなかったし、TV番組もアメリカのドラマ『奥さまは魔女』とか『おかしな二人』とか『ミスター・エド』とか『かわいい魔女ジニー』とかしかなかった。僕を構成しているのはだいたいそういうもの。そういうアメリカのカルチャーが僕の中での教科書になっています。必然、そういったものに対する憧れ、なんでしょうね。僕の年齢的にいうと一番、刷り込まれる時期でしたよね。実は僕、日本の漫画にあまり影響は受けていないんですよ。アメコミは買ていたので、アメコミの影響は受けているけど。僕は漫画より小説の方が好きなんです。活字の人。漫画家になろうという気持ちもなかったし、日本の漫画に対する憧れもそんなになかったですね。日本の漫画が僕に入ってくる余地がなかった。落書きするのも『宇宙怪人ゴースト』とかの海外アニメを描いていましたね。

──アメコミにはまった切っ掛けは?

小学校5年生くらいの時に、外人の友達ができたんです。まぁ、外人の友達といっても日本語ペラペラなんですけどね。その子がアメリカのおばあちゃんから送ってもらっているアメコミを僕に見せてくれたのが、僕が本物のアメコミと出会った最初でした。で、それをどうやれば手に入るのか?と調べたら、実は洋書屋さんという、海外の雑誌や書籍を輸入して販売している書店がある、というの知ったんです。そこから洋書屋である丸善とかに行って、─僕の産まれは札幌なので、札幌の丸善ですけど─、通うようになりました。毎週、丸善に行っては数時間、〈マーベル〉や〈DC〉のアメコミとか『ヘビー・メタル』とかを、高くて買えないから、永遠眺めていました。そして、何十冊あるうちからやっと一冊だけ選んで、買って帰るみたいなことをしていたんです。

──ゴッホさんって無理してアメコミを描いていない。自然とアメコミを描いていると感じるのは、日本にいながらアメリカコミックが刷り込まれていたから、なんですね。

日本の漫画家でも上手い人はいますよね。上手い人を見たらいいな~とは思う。けれど、上手くていいな、というのと、こうなりたいというのは違うじゃないですか。日本の漫画絵をあまり好きになれないんですよ。日本の漫画のキャラって右から見ても左から見ても線の数が一緒なんです。でも、アメコミって右から見たものと左から見たものの線の数が違う、線の太さも違うし、影も付いてくる。なんかそっちに僕は惹かれていたんです。

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──ゴッホ今泉さんがイラストレーターをはじめる切っ掛けは?

最初、東映動画で10年ほどアニメーターをやっていました。僕が東映動画に入ったとき、東映動画では海外のアニメを沢山制作していたんです。当時、合作アニメという言葉を使っていたけど、実際にはアメリカが発注したアニメを下請けしていたんです。合作アニメは東映動画が制作する全アニメの半分を占めていた。そんな合作アニメは日本では放映されないから多くの人はどんなアニメかは知らないですけどね。僕は合作アニメの班でした。東映動画に入るとき、練習で『ゲゲゲの鬼太郎』とか『北斗の拳』はやりました。けど、それはあくまでも練習。実際の仕事は合作アニメしかやっていないんです。でも、90年くらいに合作アニメがなくなっちゃた瞬間があったんです。円高になったため、アメリカは日本じゃなくて、安い東南アジアへ発注するようになっちゃった。やる仕事が一本もなくなって、国内作品をやらなければいけなくなったときに、僕はどうしても日本のアニメはやりたくなくなかったんです。それで東映動画を辞めました。東映動画を辞めたころは、ネットワークもそんなになかったんですけど、丁度、小学館プロダクションが『Xメン』とか『スパイダーマン』の翻訳コミックスを出すということになって、僕は編集で加わりました。アメコミに詳しいからというので呼ばれたんです。で、編集をしながら自分ではイラストを描いているうちに、1年半くらいたって、イラストだけでなんとかなるようになって上手くスライドできて、イラストレーターが始まるというところです。東映動画の10年があったから、イラストレーターにスライドできたという感じですね。なとなく、方々から仕事をもらっているうちに、イラストレーターになれたというところですね。

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──ゴッホ今泉さんのタッチはアメコミだから使われる場所も限定されるように思うのですが……

僕はフリーになってから20年くらいたつんです。僕がフリーになったばっかりのころ、というのは今のように、アメコミ映画が毎年、上映されるわけでもなく。小学館プロダクションがアメコミ翻訳本を出していたのでアメコミの読者は増えていたけど、アメリカコミックタッチのイラストはそんなに需要はなかった。でも、イラストレーターとして独立したかなり最初のころ、アートディレクターの大貫卓也さんに仕事をもらったんです。大貫卓也さんが作ったキャラクター・ペプシマンのラインドローイング(線画)です。それで「大貫さんと仕事をしている人」ということから、比較的ギャラ交渉も難しくなく進めました。大貫卓也さんに見出してもらった、というのがけっこう大きいです。それ以降はギャラの話で僕が黙っていると、クライアントが「大貫さんと仕事されているならこれくらいで」といって、けっこう高額のギャラを支払ってくれた。今、デビューしたてのイラストレーターがどうやって値段交渉するか?で悩んでいるけど、僕は恵まれていましたね。それも90年代でまだイケイケの時代だったからだと思います。今とは状況が違うとは思います。クライアントも漫画を使いたけどポップで行きたいから、ここは日本の漫画じゃないよな~、という場面で僕みたいなアメコミタッチのイラストレーターがポスト的によかったんだと思います。

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──雑誌『ポパイ』に代表されるポップカルチャーがあって、アメコミタッチが求めらたということですね。

アメコミに代表されるアメリカンポップカルチャーはみんな好きなんですよ。僕は大きな広告を比較的最初にもらえて、そのあともちょくちょく広告の仕事をもらえるようになった。あと、ミュージシャンの友達が多かったのでCDジャケットとかもやっています。それとアパレルの仕事もやっているんですよ。Tシャツなんかは140ラインくらいはやってる。パンツで70ラインくらい。雑誌イラストみたいなところで他のイラストレーターとマーケットをシェアせずにやれたのがよかったんだと思います。

 

LIFE新宿にこだわる

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──仕事場と自宅が新宿の、しかも歌舞伎町の近く、というのは何かこだわりがあるのですか?

まず、画材店の世界堂に近い!これが大きいです。それに歌舞伎町が近いと24時間、ご飯が食べたいときにいつでも食べられる。あと、どこに行ってもタクシーで帰って来られる。この3点ですね。

──確かに新宿で遊んでも歩いて帰れますよね。あと、ゴッホ今泉さんというと女装というイメージがあります。

女装は僕のコスプレです。はじめたのは20年くらい前で、そのころはコスプレという言葉はなかったんですが……。ただ、『デバートメントH』というクラブイベントをやることになって、だったら枯れ木も山の賑わいなので、僕もコスプレしようと。ただ、僕は仮面ライダーより『謎の円盤UFO』のエリス中尉や、『宇宙大作戦』のウラ中尉の方がかっこいいなと思っていた。みんながやるコスプレは仮面ライダーだったけど、僕にとってのコスプレはエリス中尉であり、ウラ中尉だったんです。

──デパートメントHでは婦警さんですね。

女装のバリエーションはそんなに多くはないです。僕のアイコンは『ファンタステック・フォー』。コスチュームは劣化もしますしね。

 

LIKEデパートメントH

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──ゴッホ今泉さんというと、毎月、主催されているアンダーグランドのクラブイベント『デパートメントH』のオーガナイザーが有名です。

デパートメントHはもう23年やっています。イラストレーター・ゴッホ今泉が趣味でオーガナイズしているイベント、というスタンスです。だけど、イラストレーターはひとりでやることだけど、クラブイベントは僕ひとりではできない。何人かと一緒にやる。一緒にやると手は抜けないということはあります。ただ、僕みたく閉じこもって仕事をする人間にとって、毎月開催するイベントをやっていると、余分な時に人に会わずに、月に一回だけ行くことで300人と会える、みたいなのがありますね。バランスが取れているという感じです。もちろん、個別に人と会うのが嫌いという意味ではありません。

──確かに効率はいいですよね。始めた当初、23年も続くと思っていたんですか?

僕は比較的なんでも、着かず離れずダラダラやるというのが得意なんですよ。お茶は7年くらいやっていたことがあるし、タップダンスは今もやっていて20年以上もやっている。最近はバレーをはじめました。もう6年くらいたちます。どれも着かず離れずダラダラやっています。もちろん続かなかったものもありますけどね。三味線は3か月だったし(笑)。

それと、デパートメントHを23年やってこれたというのは、イベントが変わっていってるからなんです。変わっていってるから続いている。変わっていないと続かないんじゃないですかね。

──長く続ける秘訣というのは、変えていくことなんでしょうか。

イラストレーターとしての絵は変わらない。だけど、デパートメントHは趣味だから方針を固めないでいい「こんなイベントをやりたい!」といって、機関車のように牽引しているというより、帆船で吹いてくる風をみて、行きたい方向に風を利用してなんとなく舵を取ってるというのがデパートメントHなんです。変えたくないコアな部分はあるけど、あんまりこだわらずに、変化させていく。

──それがオーガナイザーとしてやっていけている秘訣でもあるわけですね。

オーガナイズのやり方というのもそれぞれ違って、すごく強い力で牽引する人もいれば、僕みたくなんとなく、ふらふらやってる人もいる。これは多分、いくつもやり方ってあるんでしょう。ただ、着かず離れず、ダラダラやるというのが、長くやれる秘訣じゃないですかね。

 

SENSEセンスがないのが一番、悪い

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──ゴッホ今泉さんの私服姿はオシャレですが、ゴッホ今泉にとってセンスのいい人とは?

僕のことを「センスがいい」といわれると嬉しいけれど。自分がセンスがいいかというと、そんなふうに思ったことは一度もないですね。ただ間違いないのは、一番悪いのは「センスが悪い」ことではなくて、「センスがない」ことなんです。もちろん、センスがよければそれに越したことはない。けれど、センスが悪いというのは、実は悪いのではなく、悪いというセンスがあるということなんです。一番、悪いのはセンスがないこと。センスがないというのは、これはもうどうしょうもない。だから、センスのない人にはならないこと。センスは悪くてもいいと思います。悪いというのは単純にメジャーじゃないというだけだから。メジャーじゃないことが、悪いことだとは僕は思っていないです。実はいいと悪いって表裏ですからね。

──ゴッホ今泉さんにとって仕事をやる上でのセンスとは?

僕は、一生懸命自分をやってたらなんとなくお金がもらえるようになってきた人。世の中に合わせるということをあまりしてきてないんです。でも、世の中に合わせてこなかったことが、僕の力でもあったりする。センスがいいというのは、世の中にあわせてみんなが欲しがるものを作ることじゃないですか。それは僕の生き方としてはあんまりやってきている方向じゃない。

──ゴッホ今泉さんの話を伺っているとオンリーワンの存在でいることが一番、大切なのだと強く思いました。ありがとうございました。

(2016/02 大橋博之)

プロフィール
ゴッホ今泉(ごっほいまいずみ)
1963年3月10日生まれ。
1960年代正調アメリカンコミックス・スタイルを標榜とするイラストレーター。キッチュでキャンプでヒップでパンクでモンドなものを愛し続けている。
【ブログ】http://ameblo.jp/department-h/
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