原点は「人が好き」という気持ち――
脚本家&プロデューサー・須田泰成に聞く、一生楽しく働く方法
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原点は「人が好き」という気持ち――
脚本家&プロデューサー・須田泰成に聞く、一生楽しく働く方法
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昼は、ライターや脚本家、プロデューサー、夜はイベント酒場店主と、多種多様な顔をもつ仕事人・須田泰成さん。世田谷区経堂のイベント酒場「さばのゆ」は、松尾貴史さんや春風亭昇太さんをはじめ、編集者・ライター・アーティストなどのクリエイター、全国の農業・水産業関係者、工芸品の職人、メーカー関係者など幅広い人が集まることで有名なお店です。

10数年来、地元・経堂をはじめ、全国の地域の活性化に関心をお持ちで、地方や地元のお店を応援する活動やイベントも数多く手がけられているという須田さんに、楽しく仕事をするためのコツを聞いてきました。

JOB日本のいいものを、世界とつなげたい

――さばのゆの店主さんからイベントプロデューサー、ライターまでさまざまなお仕事をされていますが、今進行中のプロジェクトにはどんなものがありますか。

今はインバウンド関連の案件が増えてきました。日本中からこだわりの良品を集めて販売している「日本百貨店」というお店があるのですが、最近そちらと組んで日本の良質なものを海外に伝える3か国語の冊子を作ったりしました。

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▲日本百貨店さんと作られている冊子の誌面の一部。

以前より日本を訪れる海外の方は増えていますが、 まだまだ“爆買い”なんて言われるように、どうしてもドラッグストアやブランド店などでの買い物が中心じゃないですか。
でもこれからは、日本の地方のいいものと、良品をたしなむ文化のある海外の人たちが、じわじわと多様な線でつながるといいなと思っています。

放送作家的な仕事では、篠原ともえさん、西樹さんと一緒に「日本カワイイ計画。With みんなの経済新聞」という全国20局ネットのFMラジオ番組の構成作家をしています。これも「カワイイ」をテーマに日本の良いものを紹介する番組です。地方創成もテーマですね。

LIKE若いころ大好きだった「たまり場」が、店作りの原点に

――「地方創生」という言葉も出ましたが、「地元や地域への愛着」のようなものがプロジェクトの根底にあるような気がしますね。

そうですね。僕が地域のことに興味をもつようになったルーツは、20代後半の頃、経堂にあったラーメン屋「からから亭」にあります。
そこの店主は、70年代から80年代にかけて、経堂落語会という伝説の地域寄席をプロデュースしていた下町出身の面白い人。「からから亭」には、とにかく夜毎いろんな人が集まっていました。芸術家、物書き、映画関係者、演劇関係者、放送関係者、落語家、企業の人、棋士、近所の飲食店関係者と、まさに多士済々。小さなお店だったのですが、そこに毎日立ち寄るのが本当に楽しくて。僕にとってはまさにパラダイスで、大げさではなく「生きてきてよかったな」と思えるような場所だったんです。

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▲たくさんのお客さんでにぎわう「さばのゆ」。あるときは居酒屋、あるときは高座が出現して落語会会場と、変幻自在な空間

でもそんな幸せな時間もつかの間で。その頃、「大規模小売店舗法」という、個人商店を守るためにあった法律が廃止されたんです。経堂の商店街にも大資本のチェーン店が進出してきて、低価格を武器に昔ながらの店をどんどん追いやりはじめました。

「からから亭」も例外ではなく、経営が厳しくなってきた。そこで僕たちは、常連で集まって毎週月曜日に「立ち飲み形式」で集まるイベントを開き、各自友だちを連れてきて盛り上げようとしました。僕はかれこれ3年間で、150回くらいは通い続けていました(笑) 売上は上がって、新規の常連さんも増えましたね。

――スゴい! 「好きなお店を守りたい」というお気持ちが、実を結んだんですね。

はい。その勢いをさらに加速させるために次はWebで情報発信をしようということでできたのが、17年間、手弁当で続けている経堂の地域情報サイト「経堂系ドットコム」の原型です。Webでの情報発信とリアルイベントを連動させた町おこしというのは今でも続けている取り組みですが、そのルーツもこのときにできたんです。

このサイトも最初はごく小規模なものだったんですが、続けるうちに『実はうちの店も苦しくて』とか『うちにも取材に来てくれないか』という問い合わせをもらうようになって、どんどん規模が大きくなっていって。たくさんのお店の方々と今では家族ぐるみの付き合いになっていますよ。

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――それは感動的ですね…! 須田さんが「さばのゆ」をはじめられたのも、そういうご経験があったからなのでしょうか。

そうですね。僕自身が「パラダイスだ」と感じていたような、街のたまり場みたいな場所を作りたいと思って。

SNSを見ていると「行った店の数を自慢する人」がよくいますけど、ひとつのお店ばかりに行き続けたり、ひとつのことばかり調べたり、そういう一点集中みたいなのも意外と大事だと思うんですよ。
どんな人もどんな物事もいろんな面をもっていて、数十回やそこら会ったり通ったりしただけで本質はわからない。それがわかるまで極めることで、逆に広がりが出てくることもあると思うんです。

CHANGE無茶ぶりされた仕事が、独立のきっかけに!?

――須田さんにとっての転機と言えば、やはり勤めていた会社を退職したあとイギリスに渡り、フリーランスとしてお仕事をはじめられたことだと思います。とても勇気あるご決断だと思いますが、どのような経緯だったのでしょうか。

若いころからコメディが大好きで、モンティ・パイソン(イギリスの代表的なコメディグループ)とイギリスへの憧れは昔からずっとありました。週に3、4日の徹夜も当たり前という映像製作の会社に勤めながらも、コメディはずっと書き続けていたんですよ。落語の脚本を書いたりね。でもそのころは、まさかイギリスに行けるなんて思ってもいませんでした。

そんなある日、全編英語のトーク番組のディレクターをすることになったんです。僕は当時英語がまったくできなかったんですが社長が体育会系で、『根性あったら英語はできる!』と怒鳴り散らすメチャクチャな人で(笑) 翻訳や字幕作成も自分でやらざるを得なくなったんです。当然ながら、最初はまったく仕事になりませんでしたね。英語のできる友人知人を頼って、なんとか字幕を作っていました。

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――英語がまったくできないのに翻訳のお仕事ですか!? それは大変でしたね…。

はい(笑) でも、そんな極限状況を何となく楽しむ自分もいました(笑)
そんなこんなで半年くらいするうちに、社長もヤバいと気づいたのか字幕の翻訳を発注する許可をくれて、番組の質も上がりました。で、気がつけば、なんとなく英語が聞き取れるようになってきたんです。毎日5時間くらいは英語のシャワーを浴び続けていましたからね。モンティ・パイソンの台詞も何となくわかるようになってきて、それで「今ならイギリスに行けるかな」という思いが出てきたんです。

実際にイギリスに渡ったのは、その会社を円満退職してから2年半後。当時はまだ日本も雑誌や企業のPR誌などが元気な時代だったので、イギリスにいながらも日本の出版社や編プロから仕事をもらったりもしていました。僕の代表作とも言える「モンティ・パイソン大全」や「ビーン・マニア」という本も、その流れでできた作品です。

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▲転機となった著書「モンティ・パイソン大全(洋泉社)」。発売から10年以上たった今でも版を重ね続ける名著

SENSE厳しくも一流の人との出会いで、仕事の素地ができた

――須田さんがお仕事で出会われた方で「この人はセンスがいいな」「素敵だな」と思われた方がおられたら教えてください。

最初につとめていた映像製作会社の社長がすごく面白い人でしたね。見た目がまず強烈なんです。身長は180センチ以上、体重110キロ以上、空手五段、坊主頭にサングラス。ひと言で言えば、相当怖い(笑)
入社の面接のときに僕は『コメディを書きたいんです』って正直に言ったんです。そしたら案外優しく『いいよ。うちの会社は9 to 5やから。9時から5時まで一生懸命働いたら、アフターファイブはコメディを書く時間にあてたらいいよ』って言ってくれたんですよ。

――いいじゃないですか! 素敵な会社。

そうそう。それで入社することに決めたら次の日、びっくりしました。9時から5時までっていうけど、5時って翌朝の5時だったんですね(笑) でも怖くてツッコめなくて。
そこではゴルフ番組から歌謡番組まで、いろいろ担当しました。厳しかったけど、企画書や構成台本の書き方、現場の回し方、予算の組み方、プレゼンや根回し、北新地での接待やクレーム処理まで経験したので(笑) 仕事の基礎はすべて教えてもらったから、今でも感謝していますね。

もちろんブラックな環境がいいというわけじゃないんですけど、その会社はブラックなだけじゃなく、社長が本当に圧倒的に一流だったからよかったんだと思います。日本映画の全盛期から良い仕事をされているとても仕事のデキる人だったし、その人のおかげで、下っ端でしたが一流の芸能人や財界人、スポーツ選手などそうそうたる人とお仕事することができましたから。単なるブラック企業ではなく黒光り企業だったかなと(笑)
そんなふうに厳しい環境でもついていきたいと思えるような先輩を見つけられたら、仕事がもっと楽しくなると思いますよ。

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――本当に豪快な方だったんですね…! たしかに仕事と人間関係は、切っても切れないものですよね。楽しく仕事をするための人づきあいのコツがあれば、教えてください。

世の中のことは、仕事も日常生活も遊びも、煎じ詰めると「人と人」だと思っています。

たとえば外食するお店を選ぶとき、「ガイドブックで点数が高かったから」とか「安いから」とかで選ぶのは、僕はイヤなんですよ。店を選ぶ時は大体、店主やカウンターの常連さんに会いに行く。カレーならこの店、中華ならこの店、焼きとんならこの店、イタリアンなら、寿司なら、と。地方に出張に行っても同じで、大阪ならここ、福岡ならここ、仙台ならここ、と人を目指して飲み食いに行きます。
だから、自分の周りの若い人には一軒でもいいから常連の店をつくると面白い、と言っています。店主と、人と人の関係で付き合える店ということですね。値段や味や立地の便利さよりも高い優先順位で人がある。そんな感じで暮らしていると、仕事でも人と人で長く付き合える人間関係が不思議と生まれてきたりします。

飲食店を経営していると、良いビジネスや仕事は良い常連さんに支えられていることを実感しますね。僕が経営しているイベント酒場さばのゆも週に1、2回とか、月に1、2回とか来てくださる常連のお客さまに支えられています。
ふらっときて、いい感じで楽しんで、帰っていく…。馴染みだから、お互いに気をつかうこともありませんし、そんなストレスのない感じが良いかなと。

――やっぱりそうですよね。最後に、須田さんのように好きなことをして生き生きと仕事をするためのアドバイスがあれば、ぜひ教えてください!

僕は「これが仕事になるからやろう」と思って仕事をはじめたことはないんです。好きなことを突き詰めていったら自然に仕事になっていたというか。本の執筆もそうだし、今やっているイベント酒場さばのゆの運営も、いろんな番組のプロデュースも、全部そう。就職も転職も、その流れの中で自然に起きたことでした。

好きなことって寝食を忘れてやってしまいますよね。そういう意味で言えば、僕は疑問に思うことがあったらとことん突き詰める性格で、それがよかったのかもしれません。モンティ・パイソンについて夢中になって調べているうちに、気がつけば原稿の依頼が来ていたり。地元の店のピンチを何とかしたいと地域と関わっているうちにイベント酒場を作ったり、それが全国とつながって日本の良品を発信する仕事につながったり。夢中になってやるってことが、まずは大切なのかも知れませんね。

そしてもうひとつ大事なのが、突き詰めはじめたら「その分野では自分が一番」と自信をもって言えるくらいまで極めること。実際に一番かという問題ではなくて、それくらいの自負を持っているかどうかということですね。そうすれば、あわてなくてもそこからどんどん世界が広がっていきますから。

(2016/6/30 Tokyo Edit)

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▲須田さんからのメッセージは、敬愛するモンティ・パイソンの言葉から。意味は「いつも、人生の明るい側面を見ようよ」

プロフィール
脚本家/コメディライター/プロデューサー/著述家/クリエーティブディレクター。
2000年、伝説の地域寄席・経堂落語会の代表世話人を勤めた故・栃木要三氏のラーメン屋「からから亭」の経営不振を立て直すため、個人飲食店を応援する経堂系ドットコムをスタート。2009年「さばのゆ」オープン。落語、トーク、全国の地域イベント等で知られるように。東日本大震災の津波で流された石巻の缶詰工場・木の屋石巻水産の泥まみれの缶詰を洗って売るプロジェクトは、さばのゆから全国に広まり、約27万個を販売。工場再建のきっかけとなるなど、ソーシャルな活動も多い。本業は、著述、映像・WEB制作、各種プロデュース。著書に『モンティ・パイソン大全』(洋泉社)、脚本・シリーズ構成に『ベイビー・フィリックス』(NHK)、『スーパー人形劇ドラムカンナの冒険』(NHK)など。
【公式サイト】http://www.yasunarisuda.com/#
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